横溝屋敷とは?

獅子ヶ谷村と横溝家

 横溝家の屋敷がある鶴見区獅子ヶ谷町は横浜市の東北部に位置し、鶴見川の南岸に拡がる沖積地に張り出した丘陵の先端部にあります。鶴見川は以前は相当の暴れ川で、毎年のように流域に水害をもたらしていました。かつて、この中流域一帯は豊かな水田地帯でしたが、現在は工場や宅地に変わっています。

 『新編武蔵風土記稿』によれば、獅子ヶ谷は古くは師岡郷(もろおかごう)といい、師岡村から分かれたとされています。地名の由来は当地が熊野権現の所領で、獅子舞を受け持ったことによると伝承されています。

 獅子ヶ谷村の石高は、正保時代(17世紀中頃)に244石余、元禄、天保、明治元年ではともに309石余という記録が残っています。また、家数と人口は文政10年(1827)で、38軒と226人、安政2年(1855)には39軒と244人、明治3年(1870)では42軒と278人となっています。

 横溝家は16世紀末、慶長年間に獅子ヶ谷村の名主を務めて以来、江戸時代を通じて代々名主を務めた家柄で、現在17代目を数えます(初代は横溝五郎兵衛(ごろべえ))。当家は江戸時代には、鶴見川の沖積地を開墾して水田を拓き、二ツ池や溜井を確保し、村内に本覚寺を建立するなど多大の貢献をしてきました。また明治期には、養蚕や製茶業も盛んに行っていました。屋敷地が谷戸(やと)の入り口の御園(みその)と称される最良地に位置するのも以上のような歴史的な背景に由来するものと考えられます。


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